tonoshake大学記まとめ
そろそろ大学を卒業するって思ったら自分が過ごした学び舎への愛おしさが爆発したので、忘れる前にその気持ちを書き認めます。
今回は僕がシェーダー入門する前の時期、大学入ってから2年末までこんなことやってたよっていう日記です。
シェーダー入門してからは寸暇を惜しんでシェーダー書いてたのでシェーダーシェーダーシェーダー。
この記事は大学の図書館3階、一番奥の南側のコンセント近くの席で書いています。
図書館でつかう時はだいたいこの席でパソコン広げて、レポート書いたり調べ物したり色々してました。
そこに友達がいたりいなかったり、南向きの窓から差す光が暑かったり、たまにマイクラやったりしました。
今はコロナウイルスの感染対策で、この四人用の机から椅子が二脚取り払われてます。
更に、対面に座らないように三角柱を横に向けたようなものが空きスペースを塞いでいました。
それら障害物はコンセント側の席に設置してあるため、電源を使おうとすると障害物を腕の中に抱くような滑稽な形になります。
私は今、そんな滑稽な様でこの日記を書いています。
入学前
私は工業高校の出です。
大学を志したのは高校一年の頃、理由はプログラミングが楽しかったから。
勉強をしっかり始めたのは高校2年の末ごろから。
2年末時に試しに解いたセンター試験では、国語が120くらい、数学2の代わりに工業高校生が受けられる情報で7割くらい、他は散々でした。
そこから一年かけて、地元国立大学の工業高校生枠の科目にしぼって勉強しました。
先生に授業終了後マンツーマンで授業していただいたり、塾に通って自習室が閉まるまで勉強させてもらったりめっちゃくちゃ周りに支えられて支えられて、
その結果国立大学には落ちました。
入学試験用の勉強はしていなかったので、センター試験の点数で受験できる大学いくつかへ願書を出しました。
そこで受かったのが僕が今いる大学です。
大学1年
知り合いなど誰もいない環境に放り出されたら、グループができる前に動くことが大事だとわかっていた賢い私は、初日のバスで早速動きます。
たまたま隣に座った人へ高校時代の話、これからの話、入学した方法などなど色んな話を振ります。
聞けば彼も工業系の高校をでているということだったので、専門的な話で一気に仲良くなりました。
彼は(Kとします)バンドを組んで音楽をする経験を高校時代にしており、大学でもそういったことがしたいということでした。
私は高校時代は弓道をやっていたので、なんかそういうことをやりたいなとふわっと考えていました。
サークル見学が始まりました。
私は大学最初で唯一の友人であるKとともに、音楽サークルの勧誘ライブを見にいきました。
ライブハウスにいったこと、そもそもライブを見たことがない私にとってそれは刺激的で楽しいものに映ったのです。
幸いベースギターを持っていた私は、音楽サークルに入ることに決めたのでした。
並行して、面白そうだと思ったサークル二つにも加入します。
同じ規格のロボットを自分たちで作ったプログラムで動かし、こなせたミッションの数を競うサークル、情報系の設備使い放題のサークルです。
一年の間は主に音楽サークルとロボットサークルで動いていました。
初めて行ったライブで過緊張して震えが止まらなくなったり、ベースを弾く指が血まみれになったりしたことで一年で辞めてしまいますが、自分の人生の糧になるような楽しい経験をたくさんしました。
情報系サークルは結局あんまり行かず仕舞いでしたね。学祭の出し物を手伝ったりはしましたが。
ロボットサークルはプログラミングたのしそうっていうぐらいのふわっとした僕には、ついていくのでいっぱいいっぱいでした。
講義の話です。
グループを組んで受ける講義がありました。
誕生日の日付でグループを決めるって話だったのですが、他の講義の抽選に漏れてから参加した僕にはそのルールは適用されませんでした。
26日生まれの人が集まっているところに16日生まれの僕が入ったと記憶しています。
そこであった二人とは卒業する今も付き合いが続いていますし、私の在学中の人間関係の半分はここから蔦のように伸びていきました。
この科目の勉強で大学の書庫を使ってました。
大学の書庫の秘密基地っぽさが好きで、一年の頃よくここで勉強してた 回線が細くてそれ以降あんまりきてなかったけど
— tonoshake🍶 (@TonoShake) 2021年2月8日
もう少しだと思うとなんか寂しくなって来た
前みたいにここで勉強することは今はダメになってた pic.twitter.com/tWAmXSM1yz
単位は落としました。難しかった……
基礎数学が全くできなくてグループ講義でできた友達や、ロボットサークルの友達にききまくってました。
本当助けられた。
プログラムの講義はめちゃくちゃ楽しかったです。ええ。
Cをつかってポインタやらなんやらmallocがどうとか すごいパズルやってるみたいに楽しくて課題で色々遊びました。
自己複製するプログラムを書いて悦に浸ったこともあります。配布はしてないです危ないからね。
大学2年
線形代数がありました。
これが本当にわからなくて、講義のたびに異国に飛ばされたように呆けた顔をしてました。
わからんってなった後、放課後はロボットサークルでもりもり動いてました。
僕自身が特別何かしたかっていうとそうでもなくて、チームメンバーがすごい理解の上で頑張った結果、日本一になりました。
調べると記事とかなんか色々でてきます。
このときに大会が実施される横浜に行って中華街で飯食ったりなんやかんやしました。
関東に行くのはこれが2回目で、またいきたいと思った結果、3回生の1月末に東京に行くことになります。
線形代数も終わった2年の半ばごろにこの本にあいます
www.amazon.co.jp
広告収入とかはないので安心して踏んでね。
めっちゃわかりやすくて線形代数のイメージを頭の中に持てるようになりました。
今まで無味無臭だった数学が実体を持つようになったのもこのころからです。
グループ講義でできた友達から広がった僕の交友関係の中で、Blenderを趣味でやってる友達がいました。
BlenderはいいぞBlenderはいいぞっていうBlenderおじさんだったのですが、VRChatの存在を知ったことで僕もBlenderおじさんになります。
VRChatに入ってみて、今は亡き桜広場をタイヤのアバターで跳ね回ったり韓国の人と話してたら、楽しくなっちゃってアバターを作りたくなりました。
そこから僕のCGが始まりました。
Blenderおじさんに聞いたり本で調べたりしてやっとのことでアバターを完成させます。
#tonoSHAKE 0から始めたモデリングの歴史1 pic.twitter.com/EjiYkGr1Af
— tonoshake🍶 (@TonoShake) 2019年1月21日
めっちゃがんばった
そしてツイッターのアカウントを作ります
Kodonでアバターつくってみよ
— tonoshake🍶 (@TonoShake) 2019年1月18日
KodonっていうVRスカルプトモデリングができるソフトをつかって色々やってました。
アプデされてさらに強くなったらしいですねKodon。
そこからは講義で学んだ画像処理の知識をシェーダーに突っ込んだり云々カンヌンしてここのあたまにつながります。
tonoshake.hateblo.jp
大学行ってなかったらCG触ってなかったし映像に興味持ってたかどうかわからないです。
少なくとも今楽しい楽しいで毎日送れてるのは、興味とか面白そう!っていうのを指針に物事をきめて、それを支えてもらえる環境にいたからです。
この4年は最高を積み重ねて最高にできたので、先の大学院生活やその先も最高でありたいなって思ってます。
tonoshake、ご期待ください。✌︎